進捗日記

うまくいくかどうかは関係ない。何事も経験だ。好きな言葉は「ダメもと」です。

📙人とは、そして幸せとは。『幸福人フー』坂口恭平

 

 

この本の内容は、たしか以前

途中まで坂口さんのnoteに掲載されていて、

そのとき欠かさず読んでいたのですが、

それからしばらく時が経ち、

本になって書店で平積みになっていました。

「あ、本になったんだ」と思い、

早速買って読みました。

 

いやー、興味深いというか、

率直に言って面白かったです。

この本には

恭平さんから見た恭平さん、

恭平さんから見たフーさん、

フーさんから見たフーさん、

フーさんから見た恭平さんが描かれていて、

なおかつそのまわりにいる人(お子さんとか友人とか)から見た

恭平さんとフーさんも存在するんだな、

なんかもうこれは無限に広がる大宇宙みたいな話だなぁ、

なんて思ってしまいました。

 

みずからを顧みて「自分はこういう人間だ」と思っていても、

まわりにとってはそうは見えていないかもしれない。

だいたいこういう抽象的な概念みたいなものは

誰かにいくら説明したところで、

結局わかり合うことはできないし、

わかり合えたと思っても、

それはおそらく錯覚なのだと思います。

でも、言葉にはできなくても

伝わる部分みたいのは確かにある。

恭平さんとフーさんの文章を読むと

そんなふうに感じるのです。

 

私たちは他者を

自分のフィルターを通してしか見ることはできないし、

そのフィルターにしても、

抽象的なことを拾うのが得意なものもあれば

具体的なのが得意なのもある。

そのほかにも、空想的、現実的、楽観的、悲観的など、

何種類ものカテゴリーが混ざりあったフィルターで見ているのですから、

たとえ近しい関係であっても、

人と人がわかり合うのは至難の業なのかもしれません。

 

私の場合はどうなんだろう。

この本を読んでいて、無意識に

「あ、ここは夫に似ているな」とか、

「この辺は息子に対して抱く気持ちといっしょだな」

とか、みずからの家族に当てはめて考えている自分がいました。

 

私は今までのところ、

後悔しないように、ということを

念頭に置いて生きてきたようなところがありますが、

それでも最近とみに

「あれでよかったのかな」とか、

「あんなことしなきゃよかったかな」とか思うことがあります。

でも、自分を裏切るようなことは

比較的少なかったように思います。

ていうか、嫌なことはできないし、

嫌な人とは続いてこなかったよね(笑)。

要領のいいほうでもないから、

けっこうプッツン的な展開になることもありました(笑)。

打算もあまりできないほうです。

こういうのはいい悪いの問題ではなく、

そういう特性なのだと思います。

自分が思ってもいないことは言えないところは

フーさんに似てるのかな、と思いました。

 

文章がおさまらないですが、

うまくまとめようとしないのが好きなので、

このまま終わります。

 

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