息子の進路についていろいろ悩んでいたころ、
本屋さんで目に入ったのがこの本でした。
読み始めたが最後、
最後まで止めることができませんでした。
このお母さんがしたことは
確かにいちじるしく度を越えているし、
この人が自分の親だったら、と思うと
閉塞感に押しつぶされそうになるのですが、
でも、親という立場にある人で、
このお母さんの要素がこれっぽっちもないと断言できる人は
少ないのではないかと思います。
事実、私にもそういう部分はあるし、
こういうことはスペクトラムのようなもので、
どこまでが正常、とか、どこからが異常と言い切れるものでもありません。
また、それぞれの親子関係や環境、
個々の感受性、性格特性などによっても変わってくるものだと思います。
私自身、子育ての節目のときには
何度も立ち止まり、
「息子のためと言いながら、
これは私のエゴなんじゃないだろうか。
ほんとうに息子のことを思っていると言えるのだろうか」
などと自問自答してきました。
親として、子どもにはいい人生を歩んでもらいたいと思い、
そのためには
いい学校に入って、
いい仕事に就いて、
いい〇〇、いい✕✕……などと短絡的に考えがちですが、
それってほんとうに子どもの幸せにつながるのだろうか。
親が自慢したいだけなんじゃないだろうか。
自分が果たせなかった夢を
子どもに押しつけているだけなんじゃないだろうか。
こういうことに正解はありません。
とっくに成人した子どもを持つ私も
いまだにひとつひとつ悩みながら過ごしています。
この本は記者を経験した作家のかたによって
客観性を保ちつつ書かれている本だと思いますが、
当事者であるお母さんが亡くなってしまったので、
娘さんのほうから見た真実しか知ることができません。
お母さんから見た真実も知りたかったと思いました。
このお母さんにも
このような行動に至った理由があるはずなのです。
なぜそんなことを思ったかというと、
この本を読み進めていくうちに、
「あれっ?」と引っかかる部分が出てきたからです。
著者が面会に行った時の娘さんの外見に関する描写や、
娘さんの友人が語る娘さんの様子など、
読者である私が勝手に思い浮かべていたイメージとの間に
いつの間にか齟齬が生じていたのです。
また、著者自身、インタビューで
この娘さんに共感を覚えていると語っており、
無意識にバイアスがかかっている可能性がないとは言えません。
人間である以上、100%の客観性はありえないと思います。
読者である私自身も
いわゆる機能不全家族のもとで育っているため、
自分では気づきませんが、
ものの見かたにたぶん何らかのバイアスがかかっていると思います。
人の数だけ真実があると言いますが、
この本を読んだ人の数だけ
この親子に対するイメージがあるのだと思います。
言葉にするのが難しいのですが、
この事件を他人事ととらえるのではなく、
私たち自身が多面的に考えなくてはならないことなのではないかと思いました。