進捗日記

うまくいくかどうかは関係ない。何事も経験だ。好きな言葉は「ダメもと」です。

📝「世話」について考える

「世話」という言葉にはいいイメージがない。幼い頃から家族の面倒ばかり見させられてきたせいだろう。「しっかりしている」という言葉のなかに封じ込められ、あまり子どもらしいところがなかったと思う。今になって、ときにはもっとはちゃめちゃに、年相応に過ごしてもよかったのではないかと思ったりもするが、そのことで悪態をつくべき父も母ももういない。自由と寂しさは表裏一体だとつくづく思う。

 私自身は世話をするのもされるのも好きではない。自分のことはできるだけ自分でやりたいと思う。貸し借りをつくるのが苦手だ。自分ではどうにもできないことで人の力をお借りすることもあるが、そんなときにはなんだか落ち着かない気分になってしまう。甘え下手なのかも知れない。

 こんなことをつらつら書いていられるのも、今は自分で自分のことができているからだ。生きている限り年を取るのだから、だんだんと調子のよくない部分も出てくるだろうし、できないことも増えてくるだろう。そうなったときどうするのか。考えただけでも気が重い。

 聞くところによると、日本は世界に類を見ないハイペースで少子高齢化が進み、世界がそれに対する日本の動向を見守っているのだそうだ。人口統計から見て、今からいくら「産めよ増やせよ」と頑張ったところでこの流れは止められないらしい。街にはびこる高齢者(自分も含め)。数少ない若者の負担がさらに増えることになる。ああ何か希望の持てる話はないものか。

 テレビなどで生き生きしている高齢者のお姿を拝見したりすると、一筋の光が差すようで、ちょっと心が和らぐ。また最近では、ロボットを遠隔操作することで、身体の不自由な人が旅行などを体験することができ、ひいては仕事もできるのだそうだ。こういうのはいいなと思った。人類を助けるAIの発展を切に祈る。

 子ども世代のことを考えると、やはりできるだけ自力で生きていきたい。それがむずかしくなって、何らかの人的サービスが必要になった場合にも、そのお返しに自分にできることは何かを考えたい。願わくば対等な立場でいたいのだ。でもこれも結局は自分のわがままで、まわりの人に「対等な立場でいたい」という心的負担をかけることになるのかも知れないと思うと……やっぱり気が重い。