進捗日記

うまくいくかどうかは関係ない。何事も経験だ。好きな言葉は「ダメもと」です。

📝「揺れる心」

「ゆれる」という文字を見聞きすると、「ゆれる、まなざし」という言葉が思い浮かぶ。その昔、女優の真行寺君枝さんが出演されていた資生堂のコマーシャルのキャッチコピーだ。神秘的なそのまなざしに当時子どもだった私も心を奪われた。その真行寺君枝さんが今ではクイズ番組でコミカルなナレーションをされているとは、当時の私にはまったく予想もつかなかったことだ。

 数年前、そんな子どもの頃から築き上げてきた価値観が根底から覆されるような出来事があった。プライベートなことなので詳細について書くのは差し控えるが、その日は一日中胃が痛く、呼吸が浅かった。つらさは薄紙をはがすようにすこしずつ和らいできたが、その日のことを思い出すと、お腹のあたりがちくっと痛んだ。とは言うものの、起こったことはもう元には戻らないのだから、あとは時薬に任せるほかなかった。本筋としてはこれで一段落という感じだったのだが、その副産物というかなんというか、それからというもの、しばらくの間はおもしろいというか、困ったというか、ちょっと奇妙な状況になった。

 なにしろそれまで培ってきた価値観がひっくり返ってしまったので、何をするにしても心が揺れ動くのだ。たとえば何か買おうと思っても、心の中で、以前の価値観に基づく自分が「これがいい」と言うと、新しい価値観を身にまとった自分が「これは嫌だ」と言う。なにかものごとを決めようと思っても、自分の中で大きな葛藤が生じる。何かにつけこんな案配なので、疲れることこの上なかった。

 だがあるとき、何かを考えるときに最初に出てくる自分は大人の自分で、駄々をこねるのは子どもの自分だということに気がついた。たぶんあの出来事をきっかけに、自分の中のインナーチャイルドが目を覚ましたのだ。今まで何か思っても、大人の自分、しっかりしている自分がそれを押さえつけていた。それがあのことをきっかけに、子どもの自分がとうとう牙をむいたのかも知れない。あらら、と思いつつ、そりゃそうだよな、とも思った。

 子どもの頃から迷うことが苦手だった。何かこう、ぱきっと決めないと気が済まないようなところがあったが、今は迷うことが多くなった。誰の人生も、天寿を全うするときに、幸と不幸がプラマイゼロになるとよく聞くが、私の人生は、これから迷い続けて、最後に迷いの総量がプラマイゼロになるのだろうか。とにかく、いまだに子どもの自分の言うことに耳を傾けつつ、大人の自分が「じゃあどうしようか」と考えるような毎日だ。